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「映画を楽しむ会」活動報告-80
小津監督の名人芸「小早川(こはやがわ)家の秋」鑑賞
〜 老舗の造り酒屋一家の悲喜こもごも 〜 |
本日の出席者の皆さん
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● 開催日時:2024(R6)/6/14(金)
10時上映開始 集合:9時30分〜
● 場 所 :こうのすシネマ
● 作 品 :「小早川家の秋」、
1961年/日本/カラー/103分
● 監 督 :小津安二郎
● 出 演 :中村 鴈治郎、原 節子、司 葉子、
新玉 美千代、小林 桂樹、森繁 久彌
● 参加者 :10名
● 昼食場所:アジアンスパイシー レストラン
「サモサ」8名
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レストラン・サモサでの昼食会
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● 概
要:
兵庫県宝塚市に存在した宝塚映画制作所(現・宝塚映像)の創立10周年記念作品として、巨匠・小津安二郎を招聘した作品である。松竹を拠点にしてきた小津が、東宝で監督した唯一の作品で、大阪や京都など純粋に関西を舞台にしている点でも貴重な一本である。なお、表題の姓「小早川」は「こばやかわ」ではなく「こはやがわ」と読む。
小津が東宝で映画を製作することとなったのは、表向きは『秋日和』で、当時、東宝専属だった原節子と司葉子が松竹に出演したことの見返りとなっているが、実際は小津の大ファンだった藤本真澄プロデューサーをはじめとする東宝首脳陣の小津招聘作戦が功を奏したものだったという。
藤本には、東宝の専属俳優達を強烈な個性を持つ小津映画に出演させて、今までとは異なるイメージを引き出したいという狙いもあった。そのため、本作品は新珠三千代、宝田明、小林桂樹、団令子、森繁久彌、白川由美、藤木悠ら東宝スター総出演となっている。また、小津も熟練の職人芸で毛色の異なる俳優たちを的確に演出している点も、この作品の見どころの一つとなっている。
内容的にも結婚を巡るドラマのスケールを広げて、京都・伏見の造り酒屋の大家族を巡るホームドラマ大作となったが、小津の視点はあくまでも主人公である小早川万兵衛(中村鴈治郎)の老いらくの恋とその死に向けられ、この頃小津が自らを「道化」と称していた心境とも重なるものとなった。万兵衛の葬儀を描いたラストの葬送シーンは11分45秒にわたるこの映画のクライマックスだが、小津は火葬場の煙突から上る煙や墓石を強調し、それらの場面を黛敏郎作曲による『葬送シンフォニー』で盛り上げ、なおかつ笠智衆と望月優子の夫婦による宗教的な会話を挟むことによって、小津作品の中でも最も強烈に死生観を感じさせるものとなっている。なお、本作は原節子とのコンビ最終作ともなった。
【 あらすじ 】 京都の造り酒屋・小早川家の長男は早く死に、その未亡人の秋子に親戚の北川が再婚話を持ってくる。相手の磯村は鉄工所の社長でちょっとお調子者だ。また、次女の紀子も婚期を迎えて縁談が持ち込まれるが、彼女は大学時代の友人で、札幌に転勤することになっている寺本に思いを寄せていた。
一方、小早川の当主・万兵衛は最近、行き先も告げずにこそこそと出かけることが目立つようになった。店員の丸山が後を尾けるが、したたかな万兵衛に見つかってしまい失敗。小早川の経営を取り仕切る入り婿の久夫と長女の文子夫婦が心配して行方を突き止めると、そこはかつての愛人・佐々木つねの家だった。さんざん死んだ母を泣かせた万兵衛の女好きがまた始まった、と怒る文子。万兵衛はつねとその娘の百合子との触れあいに、特別な安らぎを感じているようだったが、そこで倒れて亡くなる。葬式の日、紀子は秋子に札幌へ寺本と一緒に行く決心を告げるのだった。 以上「ウイキペディア」より抜粋
報告(編集):熊谷康夫、 写真:石黒廣行
(参加者からの感想)
◆ 石黒 廣行 さん(専攻3期、北本市)
この映画の製作されたのが昭和36年でしたので、自分が中学生になったばかりでしたので、当時の映画は見ていない時代背景の作品でした。
確かに有名な出演者ばかりでしたが、60年前の若い時の印象がその後の活躍した顔と一致しないので、食事の時に先輩に尋ねました。特に、森繁久弥は晩年の印象しかなく分かりませんでした。
映画のストリーは、昔の京都の造り酒屋一家の話で、当時のダメ男と逞しく生きる美人の女たちの生きざまと見ました。日本にもこのような時代があったのか、今では女性が強くなって、とてもじゃないが無理なことが理解できた面白い映画でした。
◆ 小島 静江 さん(未来大R3、6月入会の新入会員、桶川市、)
1961年、今から60年以上前の京都の造り酒屋の主人とその家族、親戚の関わりの物語です。出演している有名な俳優は解りましたが、顔と名前が必ずしも一致しませんでした。
ただ、小早川万兵衛の葬儀に向かう最後の列の二人の会話が、印象に残りました。一人は結婚前の次女で、それまで決めかねていたが札幌にいる彼の元に行く決心をしたこと。もう一人は未亡人の長男の嫁で、周りから再婚の話しを持ち込まれていたが、いままで通り二人の息子とこれからも生きて行こうと決心したこと。
その二人の会話に心を打たれました。60年前にも、周りに流されることなく自分の道を歩もうする女性たちがおられたので、応援したいと思いました。
以上
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